先ず

ヤルタ協定
 1945年2月、米英の首脳がソ連邦に対して、対日戦争に参加することを受け入れるならば、日本が敗北した後、南樺太と千島列島をソ連に回復させるということなどを取り決めたものである。これは日本が知らないところでの第三国同士の密約である。

日ソ中立条約
にもかかわらず、上記のヤルタ協定により
1945年8月9日に、突如、ソ連(=現在のロシア)が参戦。
日本がソ連を含む連合国に対する降伏文書に署名したのは1945年9月2日
ソ連が北方領土の国後島、色丹島を不法に武力占領したのは9月1日
ソ連が北方領土の歯舞諸島を不法に武力占領したのは9月3日〜
9月5日である。

このような歴史である

30年ほど前、ある大手(三大新聞の一つ)の新聞の社説で
「原爆投下は最初ドイツに投下する予定だったが
同じ白人なので投下するのをやめにし、黄色人種である日本に投下した」
という記事を読んだことがある
その当時は自民党、社会党のなれあい政治であり、自民党も鳩派の勢力も強く
新聞も大胆な社説も書けていたようだ
今は・・・書けないだろうな!

横道にそれたが・・・歴史背景からして

以下の発言が正しいのか、どうかを読者に判断していただきたい!
 

久間防衛相:原爆投下に関する発言の要旨
 久間章生防衛相が30日に千葉県柏市で行った講演のうち、原爆投下に言及した部分の要旨は次の通り。

 米国は日本が負けると分かっているのに、ソ連に参戦してほしくない。ところがなかなか日本はしぶとい。しぶといとソ連は参戦する可能性がある。国際世論もソ連参戦を賛成しかねない。ソ連が参戦して、ドイツを(東西)ベルリンで分けたみたいになりかねない。

 だから(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができるという考えだったが、(長崎に原爆が投下された1945年)8月9日に、ソ連が満州その他の侵略を始めた。

 幸い8月15日で終戦となり(日本は)占領されずに済んだが、間違えば北海道まではソ連に取られてしまう。その意味で、原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところだ。

 米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしているが、国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えると、そういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)。

毎日新聞 2007年6月30日 21時00分

このように書いている日記とかブログを自衛隊の秘密工作員が捜査しているのだろうか?
世の中・・・怖くなったな!

それにして、自民党と連立を組んでいる公明党は?
その公明党の支持母体は創価学会である
創価学会は仏教である
その開祖、お釈迦様は慈悲を説かれておられる
私には理解できない・・・
慈悲を説かれておられるのであるならば
戦争に対して敏感であるはずだが・・・

因みに創価学会・初代会長は牧口常三郎さんなのですが

{1941(昭和16)年3月、「治安維持法」により
軍部政府は戦争遂行させる為に思想・宗教の統制強化
12月の対米戦争の開戦、神道国家に依る(古神道とは区別されたい)神札を祀るようにと全国民に強制する}

そうした状況でも牧口さんは、自らの信念を貫き、それに屈せずそれと戦って投獄されます。
1944(昭和19)年11月18日、73歳殉教・獄中で亡くなられました

純粋に日蓮様(お釈迦様)を信じられ、信心された
その学会が創価学会です

立派だと思うのですが・・・

だから・・・余計に理解できないのです、はい!
私は仏教者ではありませんが、お釈迦様の慈悲は
理解でき、その教えは素晴らしいと思います

慈悲・・・仏教における普遍的愛のこと。
慈とは、いつくしみであり、他者に楽しみを与えること。
悲とは、あわれみであり、他者の苦しみを取り除くこと。
人間に限らず、動物や草木にいたるまで、生きとし生けるものすべての幸福と平和を願う心。(倫理用語集・山川出版社より)

仏教は生きとし生けるものすべての幸福と平和を願っているではありませんか
創価学会もしかりであると思うのですが・・・
ねえ、公明党さん!

コメント